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静岡市とは

静岡県の県庁所在地で、政令指定都市として発展を続ける静岡市。今川⽒の治世から戦国時代を経て、⼤御所徳川家康の城下町となり、家康に深く愛されたまちです。
「静岡」と改称されたのは明治時代。以降は周辺の町村を編⼊し、2003年には旧清⽔市と合併。その後、蒲原町と由⽐町も編⼊し、現在の静岡市に⾄ります。

徳川家康が愛したまち

今川家の⼈質として過ごした幼少期、戦国大名として成長を遂げた壮年期、江⼾幕府の⼤御所となった晩年期と、家康は⽣涯で最も⻑い時間を駿府こと静岡市で過ごしました。
家康が晩年の居城に駿府城を選んだのは、幼少期を過ごした⼼の故郷だったため。美しい富⼠⼭の眺望、温暖な気候、⽶が天下⼀品であることも、その所以とされています。
また、「⼀富⼠⼆鷹三茄⼦」のことわざにあるように、「駿河には⼀に富⼠⼭がある。⼆に鷹がよい(家康は軍事訓練の⼀環として鷹狩りを奨励していた)。三に茄⼦(家康の好物とされる折⼾ なす)が美味い」という説もあるようです。
家康は、⾃⾝の遺⾔により、没後久能⼭に埋葬されました。家康を祀るため造営された久能⼭東照宮の社殿は、国宝に指定されています。
駿府城公園
久能山東照宮

徳川家康の功績と影響

「徳川家御⽤達」のお茶処

家康は、お茶を愛飲し、お茶会なども開催していました。葵区の⾜久保のお茶は江⼾城へ献上されていたという記録も。駿府城下にはお茶の取引をする「茶町」が誕⽣し、静岡茶が全国に広まるきっかけとなりました。

駿河伝統⼯芸

駿府城築城、久能⼭東照宮、静岡浅間神社の造営に際し、全国から優秀な職⼈たちが駿府に集められました。その技術は連綿と受け継がれ、静岡市には多くの伝統⼯芸品や郷⼟⼯芸品が存在します。
[ 伝 統 ⼯ 芸 品 ]駿河⽵千筋細⼯、駿河雛具、駿河雛⼈形
[静岡県郷⼟⼯芸品]駿河漆器、駿河蒔絵、駿河塗下駄、駿河張下駄、駿河和染、駿河指物、駿河挽物、賎機焼、井川メンパ

ホビーのまち静岡市

豊かな森林資源に加え、駿河指物や駿河挽物をはじめとする⽊⼯技術の発展によって、⽊製模型メーカーが数多く誕⽣。現在はプラモデル製造メーカーへと転⾝し、模型の⾸都・静岡を支えています。

城下町の発展

家康在城時の駿府城下町を描いたとされる絵図が、静岡県内外に数多く残されています。今川時代から商業の中⼼として栄え、家康によってさらに整備された城下町。今もその情緒を、街中で感じることができます。

静岡の商店街紹介

  • 呉服町通り
  • 七間町通り
  • 伝馬町通り
  • 両替町通り
  • 駅南銀座

Gofukucho Street呉服町通り

呉服商⼈や染物師が住んでいたことが名の由来とされる“呉服町”や“紺屋町”は、駿府城下町の中⼼地として多くの⼈が⾏き交った賑わいの場。現在、2つの街をつなぐこの目抜き通には、名だたる⽼舗や注目のショップが軒を連ねています。

Shichikencho Street七間町通り

七間町の名の由来は、通りの幅が七間(約13m)だったなど諸説あります。静岡市の繁華街のなかでも最も歴史がある商店街とされ、大理石や間接照明を使った街並みも魅力的。一年を通じて多彩なイベントが行われています。

Tenmacho Street伝馬町通り

東海道五十三次の19番目の宿場である府中宿の一画にあり、“伝馬”の役割を持っていたことが町名の由来だといわれています。通りには新旧の個性的なお店が連なり、歴史を伝える石碑も数多く存在します。

Ryogaecho Street両替町通り

両替町の名は、かつて銀貨鋳造所“銀座”が設けられ、金銀の両替商が置かれていたことに由来。慶長17年に駿府から江戸へ移され、それが東京・銀座のルーツに。明治以降、歓楽街として発展し、賑わいあふれる通りとして親しまれています。

Ekinanginza Street駅南銀座

1946年に発足した70年以上の歴史を持つ商店街で、全長は400メートルほど。住居が多い静岡駅南口のエリアであることから、地元で愛され続ける居酒屋や飲食店、生活雑貨店などが多いのも特徴です。